「やさしい世界」という欺瞞

2018年5月にVtuber「衣笠このは」としてデビューしてはや3年とちょっと、振り返ってみると今と昔では界隈を取り巻く環境…というより、界隈そのものが変わってしまったなと感じさせられます。

少なくとも私がデビューした頃は、(私の周囲にいた界隈の当事者が元々クリエイタ―出身が多かったことも多いと思いますが)良い意味でありとあらゆる面に寛容で創作活動の幅を広げやすい土壌があったと思います。それ故、単なる娯楽目的だけでなく、学術的な活動を志向する方も少なからずいらっしゃり、私にとっても良い刺激になっていました。それがかつてこの界隈が「やさしい世界」と言われていた所以だと思います。

大先輩であるねこますさんの言葉を借りるならば「生きたい自分を生きる」。それを体現できる可能性を秘めていたと感じましたし、あの時活動していた方にも同じ思いを持っていた方はいたかもしれません。元々動画投稿者だった私が(動機こそ不純な物でしたが)この界隈に転身したのもその可能性に惹かれた部分があったのも事実です。

ところが、それがいつしかアイドル活動の延長線上という位置づけに落ち着いてしまったように見えます。(実際、今伸びてる方はというと企業個人を問わずタレントやアイドルとやってることが大差ない印象です)今この界隈を牽引してるのは資本の息がかかったライバーであり、一介の個人が己の知名度を上げるために彼らを模範とするのは当然で、その結果皆が同じようなアプローチをしだすのはごく自然なことだとは思いますし、それ自体が悪いとは思いません。が、今はその弊害があちこちで出てきてるなという感じで。視聴者による価値観の押し付けや利害関係の対立、一部の人間が私利私欲のために搾取の手段とした結果不祥事を起こしたりと…。実際私自身も今年そうした資本が絡んだ事件に巻き込まれたこともあって、(只でさえアイドル嫌いなこともあって少々嫌気が差していたわけですが)ここ最近は余計に不信感を募らせていました。

ゲーム実況やニコ生をやってた頃でも一部問題になるような人間は少なからずいましたが、ここまで酷くはなかったので正直、どうしてこうなったんだろうなと思っています。今強いて魅力を感じる要素をあげるとすると、Live2Dや3Dを使ってリアルタイムで視聴者とやり取りができること「だけ」しか挙げられず、それ以外の要素に目を向けると普通の動画投稿者や配信者として活動していた頃の方がよっぽど居心地が良かったような気がします。ここまで嫌味を書き連ねつつも今もこうしてVtuberとして活動しているのは、私と仲良くしてくれるVtuber仲間や数少ない常連の視聴者がいてくれるからであり、彼らのお陰で生かされていると言っても過言ではありません。首の皮一枚繋がってるような状態です。

自由という大義名分の下にある不自由な界隈で私はどうするべきか…散々悩みましたが、それでも私は今の「赤井このは」としてまた、「鈴木玲於奈」としても活動を継続していこうと思います。意に沿わなければリセットするのは簡単ですし、今までも私はそうしてきたわけですが(ニコ生での活動終了のくだりなんかがそうです)それでは結局現実逃避してるだけで何も変わらないので、今回は少なくともこの3~4年ちょっとの活動をなかったことにするつもりはありません。この不自由な界隈で元々ここで成してみたかった「生きたい自分を生きる」ということを体現するためにもう少しだけVtuberとして頑張ってみようと思います。それでもダメならVtuberという看板を下ろしてでも活動を継続させるつもりです。

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